ラグノオささきの「茶屋の餅」は色んな意味で実力派

ゆずれないおやつの話_vol2〉

〈ゆずれないおやつの話〉では筆者の人生において欠かせないと思うおやつについて勝手な尺度で語ります。今回は青森の銘菓《株式会社ラグノオささき》の「茶屋の餅」話。


本やCDといったものでほとんど考えられないことだけれど、ことお菓子においてはジャケ買いをせずにいられない。スーパーで目新しいものが入荷されていたりするといつもパッケージで買うか否かを決めてしまう。もちろん失敗も多い。外側のハードボディで明らかに量増しされていて実量がものすごく少ないものや『写真はイメージです』とは書いてあるけどこれはちょっと流石にPhotoshopの技術力をフル活用しすぎではないかと憤りに任せてカスタマーセンターに電話したくなるような詐欺案件など被害実績は連ねれば枚挙に暇がない。だけどそういう失敗も含めて、実体のよくわからないものを買って、開封し答え合わせをするという一連の流れを楽しんでいるのだから、ある意味仕方がなかった。

期待通りのこともあるし、期待はずれのこともあるし、その逆も然り。それがジャケ買いというものだ。だけど「茶屋の餅」というお菓子を買った時には、そういう予想の枠を超えた感動があった。

《株式会社ラグノオささき》の「茶屋の餅」はきな粉のまぶされたお餅菓子。初めて発売されたのは1970年。〈株式会社ラグノオささき〉の数あるラインナップの中で一番歴史が長いロングセラー商品。


目を引いたのは絵巻物で描かれる作風にも似た雰囲気の渋いパッケージ。商品の写真を全面に打ち出し隅の方に『写真はイメージです』と例の極小文字を添えるおなじみのパッケージや、オリジナルキャラクターないしロゴをメインに掲げる種類のパッケージとも一線を画している。最近は商品の写真を表に一切出さず人気のデザイナーやイラストレーターにデザインを任せスタイリッシュに仕上げるパッケージも増えたけれどそういう類のものとも違う。

その頑ななまでの素朴さとネーミングからも内容が全く想像できない得体の知れなさに心惹かれすぐ購入を決めた。こういうパッケージの場合、経験上パターンはふたつにひとつだと思う。①歴史だけは長いが人気も実力も伴わず会社にとって主力商品でもないため予算が割かれないまま当初のパッケージがずっと使われ続けている。②実力もある歴史深い商品だからこそことさらにパッケージを派手にする必要がない。

後者だった。文句なしに美味しかった。胡桃が練り込まれた柔らかい餅にまぶされたきな粉が香ばしく、周りくどいところのない実直な美味しさだった。だけどわたしを感動させたのは商品そのものだけではなく、そのパッケージだった。茶屋の餅のパッケージには「製品を包み消費者の購買意欲を促す」という一般的なパッケージの存在意義とは別の存在理由がある。

茶屋の餅のパッケージは二層構造になっていて、外側の包装紙を剥がすと、中に竹の葉を模したような柄の包みが出てくる。そして外側の包装紙を剥がして裏側を見てみるとそこには『茶屋の餅』をめぐる物語が記されているのだ。

昔、旅する人には山越えは避けられなかった。そのような旅人にとって、何より嬉しかったのは、峠の茶屋にたどりついたときであった。一ぷくのお茶と素朴な味の餅に、旅人は疲れをいやしに、はればなれと再び旅に向かうのである。往時の峠を行き交う人々に思いをはせながら、心をこめてつくったみちのく名物「茶屋の餅」


『茶屋の餅』のパッケージは購入者が家に帰って封を開けた後でこのお菓子を取り巻く背景を知りその雰囲気を楽しむための「演出材料」として活かされていたのだ。なんと小粋な計らいだろう。包装紙の裏に書かれているというのが趣深くて良い。まるで購入者への贈り物であるかのように、ひっそりとしたためられている。

本来であればくパッケージは『いかに消費者に商品を購入させるか』という点に注力される。そのために商品は少しでも美味しく見えるようライトを焚き撮影され、修正され、彩度明度を調整された上で国産〇〇使用とか、熟成させた〇〇の香りが~といった誘惑的なキャッチフレーズが添えられる。そういった企業努力を否定する気は微塵もないけれど「いかに商品を買わせるか」ではなく「買ってくれた人をいかに楽しませるか」という点に注力された茶屋の餅のパッケージには、食べる人を無邪気な気持ちにさせる不思議な説得力がある。