#2スモールトーク / ニコイチに向かない

 

ニコイチになろうよ、と学生の頃ある女の子に言われたことがある。その日は新学期の初日で、私と彼女とはほとんど初対面のような間柄だったのだけれど席が近かったこともあって打ち解けるのも早かった。お互いに仲のいい友達とクラスが離れたことも大きかったと思う。そしてその日の放課後、昇降口で靴を履きながら彼女はニコイチになろう、と言ったのだった。華奢で首が細長く目の大きい、とても可愛い子だった。

ふたりでひとつ、ひいてはそれくらい仲が良い間柄である、という表現として現在ははすっかり市民権を得た「ニコイチ」という言葉も当時はまだ生まれたばかりの雛鳥のように不確かな存在で、少なくともわたしはその言葉の意味するところをきちんと理解できていなかった。いいね、と軽はずみに応えたものの、駐輪場で彼女と別れてから、私はそのやりとりの掴みどころのない違和感についてぐるぐると考え続けていた。もちろん「ニコイチ」という言葉のニュアンスはわかっていたのだけれど「なろう」と言われるとなんだか居心地が悪いのだ。それはあくまでも結果であるべきものなんじゃないだろうか。だけど別に「それくらい仲良くなれたらいいよね」という意味合いで予告的に使うこともおかしくはないのかもしれない。だけどやっぱり、何かが引っかかっていた。

それからしばらく、私と彼女はニコイチ的な間柄だった。一緒に教室を移動し、二人一組になれと言われればなり、休日に二人でショッピングモールへ出向きプリクラを撮った。だけどハンカチや靴下や文房具をお揃いしようと言われることや、彼女以外の友達と遊びに出かけた日のことを根掘り葉掘り聞かれることに少なからずストレスも感じていたし、休日は部活動が忙しかったこともあって遊びの誘いを断ることも多かった。時間が経つにつれて少しずつ私は彼女と距離を置くようになった。そしてしばらく時間が経った頃、ふと気づくと彼女は別の女の子とニコイチ的な間柄になっていた。

だからといって別に、私と彼女の仲が険悪になったわけではなかった。挨拶もすれば、ちょっとした世間話もしたし、登校時間が一緒になれば教室まで話しながら歩くこともあった。だけどそこに、ニコイチ的な親密さはもうすっかり無くなっていた。自分から距離を置いたくせに、少しだけ切ない気持ちになったことを覚えている。だけどもう一度ニコイチに戻りたいとは思わなかった。私はどう考えてもニコイチに向かない人間だった。

束縛が苦手、というのはもちろんある。だけどたぶんそれは本質的な問題じゃない。彼女と仲良くなった日、ニコイチになろうと言われ感じた居心地の悪さの成分のほとんどを占めていたのはたぶんプレッシャーだった。半日も喋ってないのに彼女は自分の何をもってしてニコイチになろうと思ったのかとか、彼女が自分にどんな役割を望んでいるのかとか、ニコイチとはどう振舞うべき友人関係なのかとか、そんなふうに、相手から期待めいたものを勝手に感じてプレッシャーに思っていたのだ。今にして思えばたぶん彼女のニコイチという言葉には他意などなかったと思う。そもそも深い意味だってなかったのかもしれない。嫌なことにしたって素直に嫌と伝えれば聞き入れてくれたはずだ。そうしなかったのはただひとえに、私が器の小さい人間だったからだ。

私はもともと、特に人間関係において期待されることが苦手だ。誰かの期待に応えなきゃと思わされること、ひいてはがっかりされるかもしれないと思わされることが。

期待したり期待に応えたりという作業の中で育まれる信頼こそ人間関係の本質だろうと言われればその通りなのでぐうの音もでないけれど、苦手なものは苦手なのでどうしようもない。長年培った逃げ癖も手伝って問題が発生するといつも距離を置くという方法で解決しようとしてしまう。

しかしこんなにナイーブで自意識過剰な人間である私にもありがたいことに友人や夫でい続けてくれる親切な人たちがいる。他人に過度な期待を寄せない独立独歩な考え方の人が多いおかげで、大人になってからは親しい人たちとの関わりにおいてプレッシャーを感じたことは一度もない。そしてそういう器の大きな人たちが周りにいてくれるおかげで、私は今もなんとか孤独にならずに済んでいる。だけど時々そんなふうに人間関係を選別するような自分の偏狭なものの考え方にうんざりもする。

できることならあの頃に戻って彼女に言い訳をしたいと思うことがある。あなたは何も悪くない、ただ私の器があまりにも小さすぎてニコイチという形態の友情には向かなかっただけなのだと。もしニコイチという形で始まっていなければ、私と彼女は今でも友人だったかもしれない。一度だけ未練たらしい元彼のように彼女の名前をインスタグラムで検索したこともあったけれど、それとわかるアカウントは出てこなかった。そしてそんなことをしてしまう自分自身の得体の知れない粘着性に鳥肌がたった。私は一体何がしたいのだろう?

彼女は社交的で明るく友達も多かったから今ではもう私のことなど覚えていないと思う。けれど私は今でも時々なんの脈絡もなく、遠い昔にほんの短い間だけ自分がニコイチであったこと思い出し、とてもふがいない気持ちなる。そして育まれることのなかったその友情に短い黙祷を捧げる。