#3スモールトーク / ニコイチに向かない

 

#3 スモールトーク
ニコイチに向かない

 

ニコイチになろうよ、と同級生の女の子に言われた。その日は新学期の初日で、私と彼女とはほとんど初対面のような間柄だったのだけれど席が近かったこともあって打ち解けるのも早かった。お互いに仲のいい友達とクラスが離れたことも大きかったと思う。そしてその日の放課後、昇降口で靴を履きながら彼女はニコイチになろう、と言ったのだった。華奢で首が細長く目の大きい、とても可愛い子だった。

ふたりでひとつ、ひいてはそれくらい仲が良い間柄である、という表現として現在ははすっかり市民権を得た「ニコイチ」という言葉も当時はまだ生まれたばかりの雛鳥のように不確かな存在で、少なくともわたしはその言葉の意味するところをきちんと理解できていなかった。いいね、と軽はずみに応えたものの、駐輪場で彼女と別れてから、私はそのやりとりの掴みどころのない違和感についてぐるぐると考え続けていた。もちろん「ニコイチ」という言葉のニュアンスはわかっていたのだけれど「なろう」と言われるとなんだか居心地が悪いのだ。それはあくまでも結果であるべきものなんじゃないだろうか。だけど別に「それくらい仲良くなれたらいいよね」という意味合いで予告的に使うこともおかしくはないのかもしれない。だけどやっぱり、何かが引っかかっていた。

それからしばらく、私と彼女はニコイチ的な間柄だった。一緒に教室を移動し、二人一組になれと言われればなり、休日に二人でショッピングモールへ出向きプリクラを撮った。だけどハンカチや靴下や文房具をお揃いしようと言われることや、彼女以外の友達と遊びに出かけた日のことを根掘り葉掘り聞かれることに少なからずストレスも感じていたし、休日は部活動が忙しかったこともあって遊びの誘いを断ることも多かった。時間が経つにつれて少しずつ私は彼女と距離を置くようになった。そしてしばらく時間が経った頃、ふと気づくと彼女は別の女の子とニコイチ的な間柄になっていた。

だからといって別に、私と彼女の仲が険悪になったわけではなかった。挨拶もすれば、ちょっとした世間話もしたし、登校時間が一緒になれば教室まで話しながら歩くこともあった。だけどそこに、ニコイチ的な親密さはもうすっかり無くなっていた。自分から距離を置いたくせに、少しだけ切ない気持ちになった。

私はもともと、特に人間関係において期待されることが苦手だ。誰かの期待に応えなきゃと思わされること、ひいてはがっかりされるかもしれないと思わされることが。

もしニコイチという形で始まっていなければ、私と彼女は今でも友人だったかもしれない。一度だけ未練たらしい元彼のように彼女の名前をインスタグラムで検索したこともあったけれど、それとわかるアカウントは出てこなかった。そしてそんなことをしてしまう自分自身の得体の知れない粘着性がこわい。私は一体何がしたいのだろう?

彼女は社交的で明るく友達も多かったから今ではもう私のことなど覚えていないと思う。けれど私は今でも時々なんの脈絡もなく、遠い昔にほんの短い間だけ自分がニコイチであったこと思い出し、とてもふがいない気持ちなる。そして育まれることのなかったその友情に短い黙祷を捧げる。