#5スモールトーク / 苦手な顔

私は自分の顔が苦手だ。目の位置が高くて近いし、額が狭く面長なくせに鼻が低いから余白面が多すぎてバランスが悪い。下唇だけぽってりとしているくせに上唇が薄いから面長が強調されてしまっているところも憎らしい。耳たぶなんか恵比寿の神もかくやというほどの立派な福耳だし、おまけに顔中そばかすだらけときたから途方に暮れてしまう。

そんなわけで自分の顔が好きじゃない。全くもって愛せない。

整形したらどんなふうになるだろう、と考えたこともある。だけど具体的にどこにどんな施術をしたいだとか、お金がいくら必要だとか、そういう実際的なことまで考えたことは一度もないから、結局は無人島に一つだけ何か持って行くなら何にしようかと考えるのと同じレベルの妄想に過ぎないのだと思う。要は面倒くさがりなのだ。自分の顔をどうにか愛せるようにしようとするだけの能動性も持ち合わせていない。

昨今、世の中は「ありのままの自分を愛そうぜ」というスローガンを掲げ、多様性や個性が何よりも尊く無条件に祝福されるべきものであるというポジティブなキャンペーンを絶賛開催中で、その考え自体は本当に皮肉抜きで素敵なことだと思うのだけれど、だからと言って、実行できるかと問われるとどうしても息苦しさを感じてしまう。

私がテレビや雑誌を見ていて、胸がかき乱されるほどに狂おしく可愛いと思うのは、浜辺美波ちゃんとか小松菜奈さんとか満島ひかりさんとか永作博美さんといったどちらかといえば童顔寄りで遠心顔をされている方々で、彼女たちはみんな逆三角形型の輪郭の顔の低い位置に大きな目を持ち、上品に筋の通った芸術品のような鼻をその顔の中心にオブジェのように誇らしげにあしらってらっしゃる。

その配置やひとつひとつのパーツの形の何もかもが、もうわざわざ明記することすらおこがましいのだけれど私とはまるきり真逆なのだ。

私にとって自分の顔を好きになる努力をするということは、同時に今の感性を八つ裂きにして火をつけて灰になるまで燃やすということでもある。どちらも好きになれればいいのだろうけど、人間の脳はそう便利にもできていない。

たとえばもし自分に暗示をかけることができるなら、みんな恋愛対象のタイプの幅を広げて自分を愛してくれる人を好きになればいい。そうすればもうこの世の中から失恋という悲劇はほとんどなくなるはずだ。だけどSNSを見る限り、この世界では今日もどこかで誰かが失恋している。

自分自身に洗脳をかけることはとても苦しく難しい。

あらゆるものをありのまま愛すべし、という考え方を否定したいわけじゃないけれど、愛せないものを愛さないままでいた方が楽な場合もある。

それに、自分の顔を愛せないことで抱え込んだ劣等感の分、少なからず優しさというか、寛大さみたいなものも私は手に入れているようにも思う。引け目は人を優しく寛大にする。それは自分が攻撃されないための自己防衛策でもあるけれど、他の人の目には優しさに見えることがほとんどだと思うから、優しさと言ってしまっても嘘にはならないと思う。

もちろん劣等感のない人間が優しくないわけじゃない。優しさには数限りないたくさんの種類があり、その中には劣等感のない人間にしか手にできない種類の優しさもあるし、劣等感をリュックいっぱいに詰め込んだ人間にしか手にできない優しさもある。

自己肯定感や成功体験を肥料にすることでしか育たない種類の優しさもあれば、自己否定や惨めさを肥料にすることでしか実らない優しさもある、と思いたい。

私は自分の顔を愛せない。だけど愛せないままに生きていくこともたぶん無駄じゃない。無駄にならないような生き方をしたい。だからたぶん私は死ぬまでこの靴の中敷きのようにのっぺりとしたそばかすだらけの顔で生きていきます。