#7スモールトーク / ちょろ過ぎてこわい

高級食パン専門店で食パンを買った。お店が推奨する厚さに切り分けてもらいその日の夜に早速食べると、なるほど、これは世論が支持するだけはある美味しさであるなと、その弾力、風味、上品な焦げ目、フォルム全てに脱帽した。だけど高級食パンなんていつもいつも買えるだけの財力もないし、知らない方がよかったのかも、と切ない思いで食べ終えた。

後日、高級食パンを食べ切ったものの高級食パンへの未練を断ち切れないわたしはスーパーでいつもより厚切りの五枚切り食パンを買った。食感だけでも贅沢な気分を味わいたかった。

だけどいざ市販のパンを食べてみて困惑した。いつもより厚切りなだけでとても美味しく、高級食パンの味わいに近いを通り越してもはや同等。つまり違いがわからなかったのだ。

どうやらわたしの脳は、分厚いことによる美味しさを高級食パンの実力と思い込んでしまっていたらしい。高級食パンなんて大したことないなどと言いたいわけじゃない。ただわたしの舌は市販のそれと高級食パンの違いをはっきりと感じ取れるほど繊細じゃなかった。わたしには両者を食べ分けることができない、ということをその時はっきり理解した。

高級食パンを食べた瞬間には確かに、いつもの食パンとは決定的に違う特別な何かがあるように感じていたのに。たぶんお店の雰囲気や値段が脳内で味覚を補完していたんだと思う。

思えばそういうことは今までに何度もあった。やたら褒めてくるバイト先の人がいて「あなたちょっと普通じゃないから何か活かさないと勿体無い」みたいなことを言われていい気になって誘われるままついて行ったらよくわからない投資セミナーだったり(後でバイト先のほとんどの人が同じように褒められていたことを知った)ちょっと個性的なアパレルブランドの店員さんに「お姉さんみたいな人って顔のパーツに主張がないからエキセントリックな服でも実はさらっと着こなせるんですよ、自分じゃ気づいてないでしょ?」と褒めているのかけなされているのかよくわからないセールスでモナリザが大量にプリントされた高いTシャツを買わされたこともあるし、パワースポットに行けばまんまと身体が軽くなった気がする。

こうしたちょろ過ぎエピソードを披露すると、素直なんだね、とか、純粋すぎるんだよ、といった好意的な感想を持ってくれる人がいるので、その度に罪悪感を覚える。

わたしのちょろさは人間的な純真さからきているわけではない。ただ楽をしたいがために流されているだけなのだ。そしていつも無意識に相手の思惑に加担してしまう。周囲が言っていることや、目の前の人と違う意見を持てば、自分自身に反証したり言い返したりしなければならない。でもとりあえず納得しておけばその場はやり過ごすことができる。それで結果的にいつも純粋を装ってしまう。何かおかしいと思っていても無意識に自分を騙してしまう。

厄介なのはいずれ時間が経てば、そのことに自分で気づいてしまうことだ。

全然同意できない意見に同意したふりをして相手に媚びていたこと。言い返すのが面倒で騙されたふりをしたこと。自分を「味のわかるやつ」だと思いたくて違いのわからない高級食パンを過剰に高く評価していたこと。結局は後でそのことに気づいて恥ずかしくなる。自分に嘘をつくなとよく言うけれど、私には一生無理かもしれないといつも思う。

だからどうか誰も、わたしを勧誘しないでください。