#8スモールトーク / B型のおんな

わたしはB型のおんなだ。世にも嫌われるB型のおんなである。そのことを初めて意識したのは、小学生の頃だった。

クラスで~型自分の説明書という血液型について解説する書籍が大流行し、誰が何型であるかということが頻繁に取り沙汰されるようになり、ぽいとかぽくないとか、そんなふうに血液型に絡めて性格や行動を分析する風潮ができた。皆さんご存知だとは思うけれど、その分析の中でB型が好意的に語られることはほとんどない。

それでいじめられるということはないにしても、わたしが少し意見を曲げないと、あーわがままだ、B型の悪いところ出てる~みたいに言われたり、みんながトイレに行くタイミングに尿意が皆無で断ると、やっぱりB型だからあまのじゃく~みたいないじられからをされたこともあった。

そんなB型差別をやり過ごしクラスから血液型ブームが去った後も、わたしの中に強くしっかりと根を張ったB型コンプレックスが消えることはなかった。

一時期はアンテナが過敏になりすぎていてメディアのアンチB型的スタンスにいちいち傷ついた。ドラマで「あいつB型だしわがままそうじゃん」というセリフがあれば気が重くなり、深夜のバラエティ番組で芸人が女性タレントのわがままエピソードに対して「お前絶対B型やろ!」とツッコむのを笑うことができなかった。B型なのはあなただけじゃないし日本人の20%がB型なんだよ?と励まされれば、40%がA型だし30%がO型なのだから結局は少数派ということじゃないかと嘆いた。

コンプレックスを拗らせに拗らせた挙句、大学に入学して最初に仲良くなった女の子から血液型を聞かれた時は咄嗟にA型だと嘘をついた。ついでにその頃勤め始めたバイト先でも嘘をついた。今思えば本当にアホらしい嘘である。だけどその頃はとにかく「B型のおんな」として自分のことを評価されたくなかった。

だけど時間が経つにつれてどうしてあんな嘘をついてしまったのかと後悔しはじめ、B型だと知られたらどうしよう、という不安が静かに膨らんだ。結局一年か二年越しに友人には自分がB型であることを打ち明け、かつて嘘をついてしまったことを詫びた。とうの友人は、そんな話したっけ?という感じで、しょーもな過ぎて笑える、と言ってくれた。

笑い話で済んだことに安堵しつつもわたしは逆に、なぜ自分はここでま深刻に目に見えるわけでもない自分の血液の種類を後ろめたく思うのか、と考えるようになった。しかし考えれば考えるほど思い当たる理由は一つで、それはたぶんわたしにとってB型に関する指摘のほとんどが図星であるからだった。

自己中で気分屋。凝り性で飽きるのが早い。決断は早いが計画性がなく物事を先送りにしがち。わたしである。それこそがわたしであるのだ。図星だからこそ、わたしはネチネチとその属性を恨んでいるのだ。

そしていつからかわたしは、自分が誰よりも血液型で他人を分析するようになっていたことに気がついた。あの人のこういう仕事はO型っぽいとか、A型で得してるとか、変わってると思ったらやっぱりAB型か、とか口にしないだけで他人の行動や特徴をカテゴライズして処理してしまっていた。自分が忌み嫌うフィルターで他人を見ていた。カテゴライズすることで考えることをサボり、自分の欠点もどこかでしょうがないと思っていたかもしれない。

血液型なんてその人の性格に何の関係もない、とは言わない。その論争に関してはまだ科学的にも決着がついていないし諸説あるので何とも言えない。しかし血液型によって性格が完全に分類化できてしまったらこの世には四種類の人間しかいないことになってしまう。それはさすがになかろう。ただ個人的には、血液型によって何かしら似た傾向が見られるくらいのことは、正直あるんじゃないかと思っている。

それでもやっぱりひとつの要素がその人の全てを決定することは絶対にできない。経験や環境を無視してカテゴライズすることには何の意味もない。そしてわたしが自己中で気分屋で飽き性で計画性がなく物事を先送りにしがちなのは、生まれてから今日まで生きてきた他ならぬわたしの責任である。

だから自分の足でしっかりと地面を踏みしめ、今からゲオに延滞料金を払いに行ってきます。